テレビとネットに共通する検証可能性の欠如 - 「テレビの大罪」を読んで

社会系の書評はこちらのブログに書いていくことにしました。

テレビの大罪 (新潮新書)

テレビの大罪 (新潮新書)


テレビの問題点を著者の目線で考察した本です。学校ドラマ・医療崩壊・東京一極主義など幅広いテーマで書かれています。

福島第一原子力発電所の事故報道で、知識が不十分なスタッフがテレビ番組を作る弊害を感じています。たとえば情報として提示された図表の数値すら読もうとせず、わかりやすい責任ばかり追及するなど。民法の東京キー局は、東京のテレビ局なので専門知識を持つ人材を雇用しておくことは難しいのでしょう。

テレビ上で文化人がもてはやされ、世の中のあらゆる出来事にコメンテーターとしてコメントすることを批判していますが、本書も同じ目線の趣旨なので、その点矛盾を感じつつ読みました。

テレビの特徴

映像は文章に比べ、わかりやすいです。それゆえ見た目のわかりやすさに飛びつきがちなメディアであると感じます。番組内で起承転結がないと盛り上がりません。その場で白黒決着つけられるように編集しています。

人の目を惹くには「おもしろく」「珍しい」ものでなければなりません。ニュースになるのは日常でない出来事です。衝撃的な映像をまとめることで、特異な一時的な現象を、恒常的であるかのように見せます。

視聴者が「いつものアレね」とすぐにわかるようにしなければなりません。たとえば、政治家はあくどく、公務員は狡猾で、事件被害者は嘆き怒り悲しむ。こういう映像は、視聴者のステレオタイプをより強化しています。

絵にならないもの、見えないものは価値がありません。大事故で人が亡くなると大騒ぎしますが、ひっそりと自殺する人が3万人を超えていてもたいしたニュースになりません。「わかりにくい」ものをわかりやすくしようとせず、わかりやすいものだけを繰り返し流しています。

検証可能性が低い

もう一つ私が感じる問題は、第三者が放送内容を検証するのが難しいという点です。

新聞や書籍は国会図書館に蓄積されており、書いてある内容を検証することができます。一方で、テレビやラジオなどの放送はアーカイブされてはいますが、ほとんどは自由に見ることができません。最近になって、NHKアーカイブスやオンデマンド放送などで過去の番組を見ることができるようになりました。しかし内容を検証するという点では不十分です。いまのところ放送内容を検証するには、BPOなどの公的機関を利用する方法しかありません。

今まであまり重要視されていない問題ではないでしょうか。

ネットメディアも同じ

これはネットにも当てはまります。ネット上の文書はインターネットアーカイブウェブ魚拓などのサイトに保存されていますが、ほとんどはアーカイブされていません。

Ustreamなどのライブ配信はテレビと同じ特性のメディアですが、テレビ以上に瞬間的です。アーカイブを公開するかは放送主が決められ、都合が悪い放送内容は非公開にして無かったことにできます。テレビ放送とは違って、倫理を審査する公的機関がないため、もめ事が起こっても解決が難しいです。

こんな事件もありましたね。
2011-03-06

逆に、過去の情報をアーカイブし第三者による検証ができるようになっているサイトは信頼性が増すとも言えます。これからネットを信頼できるメディアにするために、検証ができる仕組みを作ることが必要だと考えます。